年度 |
販売数 |
名前 |
シングル名 |
受賞等の功績 |
コメント(ウィキペディア様より) |
1964年 |
100万枚 |
都はるみ |
アンコ椿は恋の花 |
CDシングル邦楽
年間ランキング1位 |
、「困るのことヨ」で、デビュー。同年「アンコ椿は恋の花」が大ヒット、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得する。うなり声のような力強いこぶし回しや、声を震わせるような深いビブラートが独特で、昭和40年代〜50年代にかけて数多くのヒット曲を生み、日本を代表する演歌歌手の一人となった。
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1964年 |
80万枚 |
坂本九 |
明日があるさ |
CDシングル邦楽
年間ランキング2位 |
日本テレビのテレビドラマ『教授と次男坊』主題歌である。作詞は青島幸男、作曲は中村八大。自分に自信が持てず、意中の女性に恋心を打ち明けられないにもかかわらず、前向きに日々を過ごす男子学生をコミカルに表現している。当時80万枚以上のセールスを樹立した。
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以下、ウィキペディア等に売上枚数の記録がない為、順不同 |
1964年 |
不明 |
青山和子 |
愛と死をみつめて |
- |
大学生河野 実(マコ、1941年8月8日 - )と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島 みち子(ミコ、1942年2月3日 - 1963年8月7日)との、3年間に及ぶ文通を歌にした。 |
1964年 |
不明 |
松尾和子、和田弘とマヒナスターズ |
お座敷小唄 |
- |
これは和田弘が昭和三十年代後半に広島で採取した俗謡で、作曲者不詳/寺島真三編曲によって日本ビクターより発売されヒットしたが、原曲は1954年の陸奥明作曲「籠の鳥エレジー」とされる。
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1964年 |
不明 |
西郷輝彦 |
君だけを |
- |
西郷輝彦のデビュー曲。1964年発売。「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。 |
1964年 |
不明 |
井沢八郎 |
ああ上野駅 |
- |
関口義明が上野駅で見かけた集団就職の少年たちを題材に詞を書き、農家向け家庭雑誌『家の光』の懸賞に応募、1位入選を果たした。これを見た東芝レコードの近藤秀男によりレコード化され、当時ほぼ無名の若手歌手だった井沢八郎が歌った。 |
1964年 |
不明 |
植木等 |
だまって俺について来い |
- |
ハナ肇とクレージーキャッツに在籍していた植木等が歌った、1964年の東宝映画『ホラ吹き太閤記』の主題歌である。その後もいくつかの映画で挿入歌に使われた。
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1964年 |
不明 |
舟木一夫 |
君たちがいて僕がいた |
- |
愛知県一宮市出身の歌手、タレント。橋幸夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマークで、デビュー当時は、学園ソングとよばれる、高校生活をテーマにした歌が多かった。 |
1964年 |
不明 |
岸洋子 |
夜明けのうた |
- |
第6回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。本名:小山 洋子。山形県酒田市出身。オペラ歌手を目指していたが膠原病のため、断念。 |
1964年 |
不明 |
村田英雄 |
皆の衆 |
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演歌歌手、俳優。 佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名、梶山
勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。
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