OKコラム⇒⇒⇒⇒⇒⇒1980年ヒット曲ランキング(邦楽)
年度 販売数 名前 シングル名 受賞等の功績
1980年 156.3万枚 もんた&ブラザーズ ダンシング・オールナイト 年間ランキング1位

1980年4月21日発売されたもんた&ブラザーズのデビューシングル。発売当初は然程話題にならなかったが、同年5月最終週付のオリコンシングルチャートで19位に登場し、その後翌週には一気に4位まで浮上。その翌週には同チャートで1位を獲得するに至った。その後10週連続で1位を独占し、同年のオリコン年間シングルチャートでは1位を記録した。第11回日本歌謡大賞で放送音楽特別賞、次いで第13回全日本有線放送大賞で大賞を獲得。第22回日本レコード大賞でも金賞を受賞した。2005年にはパロディとして替え歌されたものがミツカン『追いがつおつゆ』のCMソングに使用された。作詞は水谷啓二、作曲はもんたよしのりが手がけた。

1980年 140.4万枚 久保田早紀 異邦人 年間ランキング2位

1979年10月1日発売された久保田早紀のデビューシングル。『ザ・ベストテン』では3週連続の1位を獲得した。作詞・作曲は久保田早紀、編曲は萩田光雄が手がけた。三洋電機のカラーテレビ「くっきりタテ7」のコマーシャルソングだった。後に同社の太陽光発電システムのCMにも再使用された。

1980年 118.0万枚 クリスタルキング 大都会 年間ランキング3位

1979年11月21日にクリスタルキングがリリースしたシングル。高音の田中昌之と低音のムッシュ吉崎のツインボーカルが魅力的な曲である。第10回『世界歌謡祭』グランプリを受賞した。リリースされて1ヶ月あまりでTop10にランクされた。6週間後(2週間集計分含む)には久保田早紀「異邦人」(年間第2位)を抜いて1位(6週間)を獲得した。作詞は田中昌之山下三智夫友永ゆかり、作曲は山下三智夫、編曲は船山基紀が手がけた。

1980年 97.5万枚 シャネルズ ランナウェイ 年間ランキング4位

1980年2月25日に発売されたシャネルズ(後のラッツ&スター)のデビューシングル。人気アマチュアグループだったシャネルズはいくつかのCMソングを担当しており、この「ランナウェイ」もパイオニアのラジカセ『ランナウェイ』のCMソングとして当初は1コーラス分のみレコーディングされたが、その後レコード化されることが決まったため、通常シングル曲として制作されたものである。デビュー曲にして、110万枚(オリコン集計では約98万枚)を売り上げる大ヒットとなった。作詞は湯川れい子、作曲・編曲は井上忠夫が手がけた。

1980年 93.9万枚 長渕剛
順子

涙のセレナーデ

年間ランキング5位

1980年6月5日に東芝EMI/エキスプレスよりリリースされた長渕剛の5枚目のシングル。デビュー以降目立った売り上げを残せていなかったものの、本作はオリコンの週間シングルチャートで1位を記録、ミリオンセラーを記録し大ヒットとなった。元々はアルバム『逆流』に収録されていた曲であった「順子」だが、有線放送で人気に火が付き、連続1位を獲得。また、レコード会社に「シングルにしてほしい」という要望が多数寄せられたため、後にストリングス等のリミックスが施された形でシングルカットされた。作詞・作曲は長渕剛、編曲は瀬尾一三が手がけている。

1980年 93.3万枚 海援隊 贈る言葉 年間ランキング6位

1979年11月1日に発売された海援隊の6枚目のシングル。武田が主演するテレビドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)第1シリーズの主題歌として使われたが、当時の世相を反映しレコード売上が100万枚を超える大ヒットとなった。現在でも、学校の卒業式の定番曲ともなっている。1980年12月31日の第22回日本レコード大賞では、この曲により武田が作詩賞(西条八十賞)を受賞。また同日、第31回NHK紅白歌合戦にも海援隊として、6年ぶり2回目の紅白出場返り咲きを果たしている。作詞は武田鉄矢、作曲は千葉和臣、編曲は惣領泰則が手がけた。

1980年 84.7万枚 五木ひろし おまえとふたり 年間ランキング7位

1979年10月1日に五木ひろしが発売したシングル。ミリオン・セラーを記録し、五木ひろし最大のヒット曲である。発売後2ヶ月余りで、オリコン・シングル・チャートのBEST10に初登場し、4週間後には最高位3位を記録した。1980年度オリコン・シングル・チャート年間第7位を記録した。第21回日本レコード大賞金賞を受賞した。作詞はたかたかし、作曲は木村好夫、編曲は京健輔が手がけた。

1980年 76.9万枚 ロス・インディオス&シルヴィア 別れても好きな人 年間ランキング8位

デビュー曲「別れても好きな人」がミリオンセールスとなり、一躍スター歌手となった。第31回紅白歌合戦にも出場を果たした。作詞・作曲は佐々木勉が手がけた。

1980年 71.7万枚 オフコース さよなら 年間ランキング9位

1979年12月1日に発売されたオフコース17枚目のシングル。この曲について小田和正は、「これまで以上に売れることを強く意識して書いた」と語っている。その結果、このシングルはオフコースにとって初のミリオンセラーを記録した。作詞・作曲 は小田和正、編曲はオフコースが手がけた。

1980年 69.9万枚 田原俊彦 哀愁でいと 年間ランキング10位

1980年(昭和55年)6月21日にリリースされた田原俊彦のデビューシングル。「哀愁でいと」はアメリカの歌手・レイフ・ギャレット(Leif Garrett)のアルバム『プリンスの週末(Feel The Need)』(1978年)に収録された“NEW YORK CITY NIGHTSのカバー曲である。オリコンでは発売2週目から5週連続の2位が最高だったが、初登場から14週連続で10位以内に登場。推定売上は自身唯一となる70万枚以上を記録し、デビュー曲ながらも最大のヒット曲となった。作詞・作曲はAndrew Joseph DiTaranto、Guy Hemric、日本版詞は小林和子、編曲は飛澤宏元が手がけた。


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