年度 名前 曲名 コメント(ウィキペディアより)
2012年 Gotye(ゴティエ) Somebody That I Used to Know オーストラリアのシンガーソングライターである。1980年にベルギーで生まれ、2歳の時、オーストラリアへ移住した。2013年、第55回グラミー賞において最優秀レコード賞、最優秀ポップ・デュオ/グループ・パフォーマンス賞を受賞した。
2011年 Lady Antebellum Need You Now 本国アメリカで”恋愛成就ソング”として大ヒットを続けているこの曲。 「深夜1時15分にひとりきり、いま君に会いたい」といったかつて愛し合ったひとへのあきらめきれない想いを吐露したダイレクトな歌詞が全米でウケている。
2010年 Kings Of Leon Use Somebody カレブとネイサン、ジェアドの3兄弟と従兄のマシューで構成。 厳格な宣教師の父を持ち、旅の中で育つ。バンド名の由来は、3兄弟の父と祖父の名前(レオン)から
2009年 Robert Plant Please Read the Letter ロックの美神ロバートプラント。年を重ねツェッペリンの時とはまた違った雰囲気を醸し出す。
2008年 RIHANNA Rehab リアーナは4年間の音楽活動で世界で1200万枚のアルバムを売り、いくつかの称賛を授与された。リアーナは5つのHot100.1位獲得シングルを持ち、2000年代以内で最も多くの1位を獲得した2人目の女性アーティストになった。
2007年 dixie chicks Not Ready to Make Nice "Not Ready To Make Nice" は、ブッシュ米大統領に批判的な発言をしたということでのバッシングの経験が真正面から採り上げられており,彼女達が受けた激しい感情的な非難への怒り・やりきれなさ,そしてそれらを通り抜けてきた自分達の変わらない信念,といったものが敢然と歌われ、聴く者を圧倒します。
2006年 Green Day Boulevard of Broken Dreams

アメリカのロックバンド、グリーン・デイの楽曲。バンドの7枚目のアルバム『アメリカン・イディオット』に収録。シングルカットされ、アメリカのビルボードチャートでは、ホット100チャートで2位、ホット・メインストリーム・ロックチャートで14週間1位、ホット・モダン・ロック・トラックスチャートでは16週間1位を記録している。

2005年 Demi Lovato Here We Go Again アメリカ合衆国テキサス州ダラスで、父パトリックと母ダイアナの下に次女として生まれる。姉と妹がおり、姉ダラスは5歳年上、妹マディソンは10歳年下。ちなみにダラスは、デミと同じく女優兼歌手である
2004年 coldplay Clocks

コールドプレイ (Coldplay) が2002年8月12日にリリースした2ndアルバム「A Rush of Blood to the Head」の5曲目に「Clocks」は収録されている。2003年3月24日にはシングルカットされた。

2003年 Norah Jones Don't Know Why 「Don't Know Why」は、ジャズアルバムチャートでは143週連続1位の記録を持ち、グラミー賞8冠を獲得した2002年のデビューアルバム「Come Away With Me」に収録されています。
2002年 U2 Walk On

U2(ユーツー)は、アイルランド出身のロックバンドである。1980年のデビュー以降、政治的な信条と渇愛を力強く歌い上げる作風で世界的に数多くのファンを持つ。アルバムの総売り上げは、1億7,000万枚を超える。グラミー賞獲得数22は、ロックバンド最多である。

2001年 U2 Beautiful Day

ビューティフル・デイ」(Beautiful Day)は、U2が2000年に発表した楽曲。アルバム『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』(2000年)からの先行シングルとしてリリースされた。

2000年 Santana Smooth アルバム『スーパーナチュラル』は、バンドにとって28年ぶりの全米1位獲得を果たし、アメリカだけで1500万枚、全世界で2500万枚以上を売り上げるという大復活となる。同作は、グラミー賞史上最多の9部門を受賞し、収録曲「スムース (Smooth)」は、ビルボードのHOT 100で12週連続1位を獲得、バンドにとって初の全米1位シングルとなった。
1999年 Celine Dion My Heart Will Go On 「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(英: My Heart Will Go On=私の心は生き続ける)はセリーヌ・ディオンによって歌われた楽曲で、1997年の超大作映画『タイタニック』の主題歌であり、アカデミー歌曲賞を受賞した。ウィル・ジェニングスによる作詞とジェームズ・ホーナーによる作曲。
1998年 Shawn Colvin Sunny Came Home

アメリカ合衆国のミュージシャンであるショーン・コルヴィンのフォークロック・ソングである。この曲はコルヴィンの1996年のコンセプト・アルバム『A Few Small Repairs』のテーマ曲で、1997年6月24日にCDシングルとして発売された。

1997年 Wynonna Judd Change the World アメリカのミュージシャンであるトミー・シムズ、ゴードン・ケネディ、ウェイン・カークパトリックが制作した楽曲である。1996年の映画『フェノミナン』のサウンドトラックに収録されたエリック・クラプトンが歌ったバージョン(ベイビーフェイスがプロデュース)が、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀楽曲賞・最優秀ポップ男性ボーカル賞を受賞し、RIAAが選んだ世紀の歌には270位にランクされている
1996年 Seal Kiss from A Rose

『Kiss From a Rose』が映画『バットマン・フォーエヴァー』で使用されヒットとなり、1995年度のグラミー賞でRecord of the Year(プロデューサーのトレヴァー・ホーンと共に受賞)など3部門を受賞した。

1995年 Sheryl Crow All I Wanna Do 自身の名を冠したセカンド・アルバム『シェリル・クロウ』(Sheryl Crow)も大ヒットを記録し、1997年度のグラミー賞で二部門(女性ロック歌手賞、ロックアルバム賞)、英国のブリット・アワードでも一部門を受賞した。
1994年 Whitney Elizabeth Houston I Will Always Love You この曲は元々、ドリー・パートンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」をカバーしたもので、ホイットニー自身が主演でケビン・コスナーと共演した映画『ボディガード』の主題歌として使用されたものが『ボディガード』のオリジナル・サウンドトラックの1曲としても収録されている。
1993年 Eric Patrick Clapton Tears In Heaven クラプトンは映画『ラッシュ』のサントラを担当し、その主題歌としてこれをリリースした。1992年に全米シングルチャート第2位を記録。また1993年にはグラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀ポップ男性歌手賞に選出された。
1992年 Natalie Cole Unforgettable

1951年に、アーヴィング・ゴードン(Irving Gordon)が作曲する。元は、"Uncomparable"(比べられない人)であったが、すぐに、"Unforgettable"(忘れられない人)と題名変更となる。

1991年 Phil Collins Another Day in Paradise 1970年にプログレッシブ・ロック・バンド、ジェネシス(Genesis)にドラマーとして参加。リーダー的存在だったピーター・ガブリエル脱退後はヴォーカリストも務めた。その後、バンドはポップス路線を進み、「ターン・イット・オン・アゲイン(君のTVショウ)」、「アバカブ」、「インヴィジブル・タッチ」などの数々のヒット曲を生み出した。
1990年 Bette Midler Wind Beneath My Wings

アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身の歌手、女優。シリアスもコメディもこなせる女優であり、エミー賞、ゴールデングローブ賞の受賞者また、歌手としてもグラミー賞を受賞している。

1989年 Robert McFerrin Don't Worry, Be Happy 1988年、リズム・ベースなどを全て自身の声だけで多重録音した「Don't Worry, Be Happy」でグラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞、マクファーリン自身も最優秀男性ポップ・ボーカル賞を受賞し、3冠を達成した。
1988年 Paul Frederic Simon Graceland

1968年の「ミセス・ロビンソン(Mrs.Robinson)」(最優秀レコード賞等、計2部門)、1970年の『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』(最優秀アルバム賞等、計5部門)、1975年の『時の流れに(Still Crazy After All These Years)』(最優秀アルバム賞等、計2部門)、1987年の『グレイスランド(Graceland)』(最優秀アルバム賞等、計2部門)など、史上最多となる13のグラミー賞を受賞。

1987年 Stephen Laurence Winwood Higher Love 『ハイヤー・ラヴ』は彼にとって初の全米No.1ヒットとなり、ここに至って音楽家としての活動は頂点に達した。この勢いを受け1988年にリリースされた『ロール・ウィズ・イット』では、シングル・カットされた同名曲が再び全米1位を獲得、アルバムも初の全米1位を記録した。
1986年 USA for Africa We Are the World

ハリー・ベラフォンテの構想をもとに、イギリスで活躍するミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発されてアフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソングである。作詞・作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作で行い、プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当した。

1985年 Tina Turner What's Love Got To Do With It

1984年、アルバム『プライヴェート・ダンサー』からシングルカットされた「愛の魔力(What's Love Got to Do with It?)」が全米1位を記録。グラミー賞最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ポップボーカル賞に輝き、トップスターとして華麗なる復活を遂げた。

1984年 Michael Jackson Beat It

1983年にマイケル・ジャクソンが発表した楽曲、及び同曲を収録したシングル。アメリカのビルボード誌では、1983年4月30日に週間ランキング第1位を獲得。ビルボード誌1983年年間ランキングは第7位。マイケル・ジャクソンの代表曲の1つで、彼自身の作詞・作曲による。アルバム『スリラー』からの第3弾シングルであり、ハードロックとR&Bを融合したサウンドが特徴のナンバー。

1983年 TOTO Rosanna

アメリカ合衆国のロック・バンドであるTOTOが1982年に発表したアルバム『TOTO IV〜聖なる剣』に収録されている楽曲。この曲は1983年にグラミー賞最優秀レコード賞を獲得した。また、最優秀楽曲賞にノミネートされた。

1982年 Kim Carnes Bette Davis Eyes

1981年には往年の女優、ベティ・デイヴィスをテーマにした「ベティ・デイビスの瞳(Bette Davis Eyes)」が全米で9週1位という記録的な大ヒットとなり、世界各国のチャートでも1位を獲得。グラミー賞の最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞を受賞した。

1981年 Christopher Geppert Cross Sailing 1979年、アルバム『Christopher Cross』(邦題『南から来た男』)でデビュー。デビュー時はコンサートもせず、素顔を公開していなかった。これはクリストファー自身の意向によるものであった。 天使のようなハイトーンボイスで一躍AORを代表する歌手となる。 同アルバムとシングル『Sailing(セイリング)』は1980年のグラミー賞の5部門を独占
1980年 The Doobie Brothers What a Fool Believes

1978年のアルバム『ミニット・バイ・ミニット(Minute by Minute)』と、マクドナルドがケニー・ロギンスと共作したシングル「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」はともに全米1位を獲得。アルバムタイトル曲はグラミー賞の最優秀ポップ・ボーカル(デュオ、グループまたはコーラス部門)賞、「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」は最優秀楽曲に輝くなど、高い人気と評価を確立した。

1979年 Billy Joel Just the Way You Are

出世作となった『ストレンジャー』にも収められていたのが、全米3位を記録した「素顔のままで」である。この曲は、1978年度のグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞を受賞し、彼にとって30年以上のキャリアの中で最大級のヒット曲となっている。

1978年 Eagles Hotel California

イーグルスの5作目のアルバム。 同年度グラミー賞最優秀レコード賞受彰。 イーグルスの代表作のひとつであり、ウエストコーストミュージックに留まらず、アメリカン・ロック史に残る名盤とされている。

1977年 George Benson This Masquerade 1976年にワーナー・ブラザーズ・レコードに移籍、この年に発表したBreezin' はプロデューサー、トミー・リピューマを迎えており、タイトル曲は彼の代表作となるほどにヒットした。このアルバムに収録された"This Masquerade"で、ヴォーカリストとしても注目され、以後ヴォーカル曲も積極的に取り入れていく。
1976年 Captain & Tennille Love Will Keep Us Together

1973年に自主製作盤のレコードが評判を呼び、A&M社と契約。「君こそすべて」、「愛ある限り」、「愛の証し」などがヒットを記録した。

1975年 Olivia Newton-John I Honestly Love You 1973年頃よりMOR、コンテンポラリー色を強め、1974年のシングル『愛の告白』I Honestly Love You が全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝いた。
1974年 Roberta Flack Killing Me Softly with His Song

リリース後4週間で全米1位、1973年2月24日から5週連続でビルボード誌第1位を達成した。ビルボード誌1973年年間ランキングは第8位。これにより、ロバータはグラミー賞で最優秀レコード、最優秀楽曲、最優秀女性ボーカルの3部門を受賞した。

1973年 Roberta Flack The First Time Ever I Saw Your Face 1972年に映画「恐怖のメロディ」に使われた「The First Time Ever I Saw Your Face(愛は面影の中に)」が全米1位の大ヒットを記録し、グラミー賞の最優秀レコード賞を受賞(この曲は元々1969年のデビューアルバムに収められていた)。
1972年 Carole King It's Too Late 「イッツ・トゥー・レイト」は、1971年6月19日から5週連続全米No.1を獲得している(シングル年間チャートでは第3位)。
1971年 Simon & Garfunkel Bridge over Troubled Water

サイモン&ガーファンクルにとって3作目となる全米1位獲得シングルで、最大のヒット曲となった。2004年に『ローリング・ストーン』誌の「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」で47位となった。

1970年 The Fifth Dimension Aquarius/Let the Sunshine In

1969年には、ミュージカル「ヘアー」の最初の曲と最後の曲をくっつけた「Aquarious Let The Sunshine In/輝く星座 (w:Aquarius/Let the Sunshine In)」が全米1位となり、同曲で再びグラミー賞最優秀レコード賞を受賞。

1969年 Simon & Garfunkel Mrs. Robinson

ポールの作り出す深い内容の詞・曲とアートの美しい歌声、そして2人の絶妙なハーモニーが受けて『スカボロー・フェア/詠唱(Scarborough Fair/Canticle)』『ミセス・ロビンソン(Mrs.Robinson)』などが大ヒット。1967年に映画『卒業』(日本公開は1968年)の音楽を担当したことで、日本をはじめ世界的にも大きな成功を収めた。

1968年 The Fifth Dimension Up, Up and Away 1967年のヒット曲「Up, Up And Away」(邦題は『ビートでジャンプ』)は、グラミー賞の最優秀レコード賞等4部門を受賞。同曲は航空会社のCM曲としても知られる。
1967年 Frank Sinatra Strangers in the Night 1966年、「夜のストレンジャー」がグラミー賞を獲得しシナトラ健在を世界中に示した。
1966年 Herb Alpert A Taste of Honey 「蜜の味」の作者はボビー・スコット(Bobby Scot)とリック・マーロウ(Ric Marlow)で、前者が曲、後者が詞を担当した。この曲は1960年に上演された同名のブロードウェイミュージカルのために作られた。
1965年 Stan Getz The Girl from Ipanema

1963年にはジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビンと共に『ゲッツ/ジルベルト』を録音し、グラミー賞4部門を独占する大ヒットとなる。

1964年 Henry Mancini Days of Wine And Roses 同名の1962年封切りの映画『酒とバラの日々』の映画音楽"Days of Wine and Roses"である。映画のほうは、徐々に酒におぼれる新婚夫婦の物語である。1962年度アカデミー歌曲賞に選ばれている。また、グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀編曲賞を受賞した
1963年 Tony Bennett I Left My Heart in San Francisco

1950年代から1960年代にかけて「ビコーズ・オブ・ユー」、「コールド・コールド・ハート」、「霧のサンフランシスコ(I Left My Heart in San Francisco)」などの世界的な大ヒットで不動の人気を築いた。

1962年 Henry Mancini Moon River 1961年に作詞ジョニー・マーサー・作曲ヘンリー・マンシーニによって作られた曲。同年に公開された映画『ティファニーで朝食を』の主題歌であり、主演女優のオードリー・ヘプバーンが歌った。同年のアカデミー歌曲賞を受賞している。また、グラミー賞では最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀編曲賞の3部門を受賞した
1961年 Percy Faith Theme From a Summer Place

パーシー・フェイスによって録音されたものは、この曲の最も有名なバージョンである。1960年に9週連続全米ヒットチャートの1位を記録、1961年のグラミー賞を受賞した。グラミー賞を映画主題歌およびインストゥルメンタル曲が受賞したのはこれが初めてであった。

1960年 Bobby Darin Mack the Knife THAT'S ALLからシングルカットされた「Mack The Knife」や「Beyond the Sea」は大ヒットした。リチャード・ウェスが行った編曲の貢献も大きい。
1959年 Domenico Modugno Nel Blu Dipinto Di Blu 1958年のサンレモ音楽祭で「Nel blu dipinto di blu(青く塗られた青の中)」(英名:Volare、日本名:ヴォラーレ)を歌って入賞し、一躍世界的に有名になった。アメリカでは、第1回グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞も受賞した。
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