OKコラム⇒⇒⇒⇒⇒⇒1971年ヒット曲ランキング(邦楽)
年度 販売数 名前 シングル名 受賞等の功績
1971年 110.3万枚 小柳ルミ子 わたしの城下町 年間ランキング1位

1971年4月25日に発売された小柳ルミ子のデビュー・シングル「みんなの恋人」というキャッチフレーズを持ってデビューした。国鉄キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の流行も手伝い、発売後1ヶ月余りでオリコンのベストテンに初登場した。5週後には1位を獲得し、その後12週に渡って1位を独走した。この記録はソロの女性歌手では歴代1位の記録である。累計売り上げは130万枚に達した。『第2回日本歌謡大賞』の放送音楽新人賞や『第13回日本レコード大賞』の最優秀新人賞など数々の新人賞を受賞し、『第22回(1971年)NHK紅白歌合戦』にも初出場した。作詞は安井かずみ、作曲は平尾昌晃、編曲は森岡賢一郎が手がけた。

1971年 102.7万枚 加藤登紀子 知床旅情 年間ランキング2位

1970年11月1日に発売された加藤登紀子のシングル。もともとは、森繁久彌(もりしげひさや)1960年の映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床半島羅臼に長期滞在した際に制作され、その最終日に羅臼の人々の前で『さらば羅臼よ』という曲名で披露した曲である。1970年、加藤登紀子によってカバーされた際に人気に火がつき、オリコンのヒットチャートで7週連続の1位を獲得し、累計売上は140万枚を記録した。また、第22回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、第13回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞した。作詞・作曲は森繁久彌が手がけた。この曲は知床を舞台にしたご当地ソングとなっている。(知床とは、北海道北東部に位置する知床半島一帯をさす。2005年7月17日には世界遺産に登録された。)

1971年 92.8万枚 尾崎紀世彦 また逢う日まで 年間ランキング3位

1971年3月5日にリリースされた尾崎紀世彦の2枚目のシングル。尾崎紀世彦のダイナミックな歌い方は、デビュー当時から注目されていた。オリコンランキングでは9週間連続で1位を獲得し、第13回日本レコード大賞・大賞と第2回日本歌謡大賞・大賞を受賞した。1977年の『ワールドカップバレー'77』のテーマソングに採用された。作詞は阿久悠、作曲・編曲は筒美京平が手がけた。

1971年 77.8万枚 鶴田浩二 傷だらけの人生 年間ランキング4位

1970年12月25日に発売された鶴田浩二のシングル。累計で100万枚近い売上げを記録した。ギャグ漫画『天才バカボン』では、バカボンのパパの愛唱歌という設定となっている。作詞は藤田まさと、作曲・編曲は吉田正が手がけた。

1971年 66.6万枚 ヘドバとダビデ ナオミの夢 年間ランキング5位

1971年1月25日発売されたヘドバとダビデのシングル。イスラエルの歌手グループである。二人が一週間東京に滞在している間に日本語の詞を付けレコーディングし、翌年1月25日、『ナオミの夢』のタイトルで発売し大ヒットした。作曲はデビッド・クリボシェ、訳詞は片桐和子が手がけた。

1971年 60.5万枚 五木ひろし よこはま・たそがれ 年間ランキング6位

1971年3月1日に発売された五木ひろしの再デビューシングル。五木ひろしは1965年に“松山まさる”としてデビューしたが、全くヒットには恵まれていなかった。そこで歌手生命のすべてを賭けてよみうりテレビ「全日本歌謡選手権」に挑戦し、10週を勝ち抜くことに成功する。その結果、四つ目の芸名である”五木ひろし”で再デビュー、と云う経緯がある。徐々に注目を浴びるようになり、発売から3ヶ月目にオリコン・シングル・チャートのBEST10に初登場し、7週間後には最高位1位を記録した。五木ひろしのオリコン・シングル・チャート1位獲得は、この曲が唯一である。第13回日本レコード大賞歌唱賞の他、第2回日本歌謡大賞放送音楽賞等、多数を受賞した。作詞は山口洋子、作曲・編曲は平尾昌晃が手がけた。

1971年 60.5万枚 はしだのりひことクライマックス 花嫁 年間ランキング7位

1971年1月10日発売された「はしだのりひことクライマックス」のデビューシングル。ギターのイントロから始まる、70年代フォークソングを代表する楽曲のひとつ。1971年2月15日・22日付のオリコン週間ヒット・チャートで2週連続第1位を獲得した。累計売上はミリオンセラーを記録し、『第22回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。作詞は北山修 、作曲は端田宣彦坂庭省悟 、編曲は青木望が手がけた。

1971年 55.4万枚 湯原昌幸 雨のバラード 年間ランキング8位

1971年カワハラ企画に移籍後、ソロデビューから2枚目のシングルで、スウィング・ウエスト時代にも歌っていた『雨のバラード』が大ヒット。一躍、歌手として脚光を浴びる。自身最大のヒット曲となり、累計売り上げは120万枚に達した。作詞は、こうじはるか、作曲は植田喜靖が手がけた。

1971年 54.4万枚 森進一 望郷 年間ランキング9位

1970年12月25日に発売された森進一のシングル。女心と望郷の念を重ね合わせた内容の曲である。オリコン週間ランキングで1位を獲得した。作詞は橋本淳、作曲・編曲は猪俣公章が手がけた。

1971年 52.8万枚 堺正章 さらば恋人 年間ランキング10位

1971年5月1日発売された堺正章のシングル。1971年の第13回日本レコード大賞では、大衆賞を受賞し、第22回(1971年)NHK紅白歌合戦に出場した。作詞は北山修 、作曲・編曲は筒美京平が手がけた。


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