年度 |
販売数 |
名前 |
シングル名 |
受賞等の功績 |
コメント(ウィキペディア様より) |
1962年 |
100万枚 |
北島三郎 |
なみだ船 |
CDシングル邦楽
年間ランキング1位 |
「なみだ船」は、北島がメジャーデビュー前に最初に吹き込んだ曲であり、「ブンガチャ節」と共にメジャーデビュー曲の候補でもあった。本作でミリオンセラーとなり、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞した。 |
|
1962年 |
30万枚 |
橋幸夫・吉永小百合 |
いつでも夢を |
CDシングル邦楽
年間ランキング2位 |
吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」が30万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、第4回日本レコード大賞を受賞した。1966年、「霧氷」で再び第8回日本レコード大賞を受賞。人気と実力を兼ね備えた若手ナンバーワン歌手と目され、映画にも多数出演した。
|
以下、ウィキペディア等に売上枚数の記録がない為、順不同 |
1962年 |
不明 |
ザ・ピーナッツ |
ふりむかないで |
- |
和製ポップス最初期のヒット作品であり、岩谷時子=宮川泰コンビによる初のヒット曲。またザ・ピーナッツにとっても、オリジナルソングとしては初のヒット曲でもあった(但し、これは初のオリジナルのソングではない)。当時のアメリカンポップスのエッセンスを咀嚼し、乙女の初々しく繊細な心情を弾けるような明るさとスピード感で歌い上げた曲である。 |
1962年 |
不明 |
中尾ミエ |
可愛いベイビー |
- |
コニー・フランシスが1961年に発表して以来、多くのカバーを生み出したヒットスタンダード曲である。日本でも中尾ミエをはじめ、多くの歌手にカバーされた。またコニー自身も自作を各国語版で出している。
|
1962年 |
不明 |
飯田久彦 |
ルイジアナ・ママ |
- |
日本大学高等学校卒業。芝浦工業大学工学部電子工学科中退。現在はエイベックス・エンタテインメント取締役。歌手時代の愛称はチャコ。デビュー当時は第一プロダクション所属。ビクター時代に、『スター誕生!』に出場したピンク・レディーを発掘した。
|
1962年 |
不明 |
石原裕次郎 |
赤いハンカチ |
- |
日本のアイドル、マルチタレントであり、俳優・歌手・司会者・モデル、実業家、ヨットマンとして活動。石原軍団総帥、石原プロモーション元代表取締役社長(初代)兼会長。 |
1962年 |
不明 |
植木等 |
ハイそれまでョ |
- |
日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレントである。高度経済成長時代の日本を代表するコメディアンとして1960年代に一世を風靡して、数々のヒットギャグ、ヒット曲を放った。仲間内での愛称は植木屋、植木やん。
|
1962年 |
不明 |
ジェリー藤尾 |
遠くへ行きたい |
- |
1962年、NHK総合テレビの『夢であいましょう』の『今月の歌』として作られ、歌手のジェリー藤尾が歌い、東芝レコード(東芝音楽工業、現・EMIミュージック・ジャパン)からシングルレコード・JP-5133(モノラル)として発売された |
1962年 |
不明 |
倍賞千恵子 |
下町の太陽 |
- |
下町の太陽(したまちのたいよう)は1963年に松竹で制作された映画作品。山田洋次監督の2作目の作品。主演の倍賞千恵子が題名と同タイトルの主題歌を歌い、大ヒットとなった。 |
1962年 |
不明 |
ダーク・ダックス |
山男の歌 |
- |
シングルではダーク・ダックス最大のヒット作
1966年2月1日発売 |
|
関連コラム:年代別ヒット曲ランキング(邦楽)
1963年ヒット曲ランキング・1961年ヒット曲ランキング
|
年代別音楽(人気曲)ランキングトップへ戻る |